土曜日は三十三間堂に行った
私は何故か三十三間堂が好きである
何年かに一度足を運ぶ
この日は2グループの外国人観光客がガイドの説明を受けていた
そのガイドは二人とも日本のおじさんであった
片方のおじさんの英語は非常に流暢で
声も良く通りこれぞガイドやんと聞き惚れた
観光客も真剣に説明を聞いていた
しかしもう一人のおじさんの英語はひどい
気の毒な程に
発音も悪けりゃ声迄悪い
聞いてやらないと可哀相だと数人は聞いていたが
残りの多くは
勝手に1001体の千手観音を見ていた
同じお金を払って気の毒な事だ
日曜日は生瀬 武田尾間約7キロの
JR廃線跡を歩いた
何の予備知識も無く歩き始めたらトンネルにぶち当たった
明かりは全くささない
本当の闇である
携帯電話の明かりをかざしても効果はゼロ
連れ合いは老眼鏡のケースに小指程の懐中電灯を入れている
「オレ老眼鏡持ってきたんやった 懐中電灯入ってるわ!」
と叫びそれを点けた
携帯電話の明かりは全く足元を照らさなかったが
この小指程の懐中電灯の明かりは何とか届いた
届いたと言っても明かりに照らされる範囲は20センチ程度
しかしこの明かりが無ければ足元も見えず
先に進むことが不可能である
私は連れ合いにしがみつき明かりを頼りに歩いた
トンネルは都合6つあった
連れ合いが
京都に行く時は必ずメガネを持って行くが
今日は置いて行くつもりであった
しかし一応ということでカバンに入れた
その機転がこうやって役に立っている
この懐中電灯が無ければ引き返すしかなかった
この懐中電灯がこんなに役に立つなんて
それを歩いている間中ずーーーーーーーーーっと喋っている
私には理由は分かっている
結婚して随分経つが私が連れ合いを頼ってすがった記憶は無い
頼られる事はあっても頼る事など皆無であった
それが懐中電灯一個の為に私が連れ合いにしがみついて
真っ暗のトンネルを歩いている
それがこの男には嬉しくて仕方がないのである
俺にだって役に立つ時があった
それを思うと嬉しくてはしゃがずにいられないのだ
老眼鏡がいる年になってもバカはバカのまま年を取る
武田尾に着いて連れ合いが
「ええとこやったなぁ もう一回来ような」
と言った
次は特大の懐中電灯を持って行きますから