4日に従兄弟の連れ合いの父が死んだ
5日の朝 近所の8ヶ月の赤ん坊が
乳幼児突然死症候群で死んだ
その話をしている最中に
連れ合いの母が風呂に入ったまま死んでいると
義弟から電話があった
同居をしていたのは義弟夫婦だが
連れ合いは長男と言うだけで喪主だそうだ
その時点で私は有無を言わさず喪主の妻となる
家の風呂で死ぬと検死をするそうで
警察が現場検証に来る
そのまま死体は警察に行き一晩泊まる
さあ それからが大変である
親戚への電話
通夜と葬儀の段取り
料理の数
葬儀屋が電卓を置きながら
嘘の様に跳ね上がっていく数字に声が出そうになる
なんで葬式なんかするのん?
が私の考え方である
結婚していると言うだけで
他人(私)の意思がどうあろうと
労力を提供する事が当然であり
意見を挟む余地すらない
やりたい人はやればいい
やりたい人だけで大金をつぎ込めばいい
しかし他人を巻き込むのはやめて戴きたい
そんな事で何日も拘束する権利は無いはずである
私は連れ合いと結婚はしたが
連れ合いの親兄弟とは全くの他人である
私の親は私が献体の申し込みをし
墓地も処分させた
煩わされるのが御免だからである
連れ合いを巻き込む意志などはなから持ち合わせていない
しかし世の男どもはそうではない輩が多い
御多分に漏れず連れ合いもそうである
死んだ人間の処分をどうするか
死んだ本人は分からないのだから
結局のところ葬儀と言うのは
生きている人間の自慰行為である
自慰行為は他人を巻き込まずにすべきである
私は他人の自慰行為には興味がない
覗くだけならまだしも
強制参加はお断りである
連れ合いに義母は保険に入っていたのかと聞けば
入っていないと答える
無一文の義母の葬儀を
残りの兄弟が金を出し合って葬儀をする
なんでするのん?と聞けば
しょうがないやろと答える
脱力である
初めに葬儀ありきで動いているのである
理解に苦しむどころではない
通夜の日
倉敷の私の伯母が死んだと母から電話があった
笑ってしまった
こんなに続くか
嫁と言う意識が皆無の私に
連れ合いの身内は嫁として接する
私が発狂して暴れ出すのを予測してか
連れ合いが明日までは悪いけど我慢して
問題のない様に振舞ってくれと頼んできた
結婚とはなんぞや
全く悲しくない事象に神妙な顔をして
参列者の悔やみの言葉に対応をする
葬儀の無意味さを噛み締めた