どんな種類の神や仏を信じようが個人の自由である
それは大いに結構な事だ
その教義を基盤に個人の生活が営まれる事も
三者が口をはさむ事ではない
宗教によって癒されたり満足する事に対して
一切文句を言うつもりはない
どんどん幸せになって戴きたい
真宗大谷派の杉浦法相は
「私は死刑執行の命令書にサインしない」
と言った
ハンコ押すのが仕事やん
私が全ての宗教を嫌うのはここにある
その教義をミソもクソも一緒くたにする所である
はっきり言えば分別がないのである
自分がいいと思う事は人も絶対いいはずである
布教の始まりはこの「勘違い」である
しかしそこに待っているのは他宗教との摩擦である
教義同士のぶつかり合い
死刑制度がある国でそれを実行しなはれと
ハンコを押すのが法相の仕事
法相以外の人間のハンコが1000個あっても実行される事はない
それを分かった上で法相を引き受け
その同日に「ハンコ押さへんねん 僕ちん宗教上反対やもん」
は笑われる事はあっても褒められた行為ではあるまい
多くの人間は何処かの宗教に属している
しかしサラリーマンがそれを振りかざせば
待っているのは上司からの肩たたきである
国家の運営の一端を担う役職に就く人間が
「ハンコ押さへん」は
あからさまな社会人への侮蔑である
「宗教」と言う名の下で育まれた慢心である
私は宗教もマスターベーションだと思っている
マスターベーションは人に隠れてするものではないか
見せびらかせてマスをかくヤツは変態の烙印を押される
後ろに手が回ったり人生を棒に振ったりもする
同じ自慰行為なのになぁ