中学の同級生に中井君がいた
彼は勉強もスポーツも苦手で
熊のような顔と体をした非常に大人しい男の子であった
現代国語の授業のことである
堀切峠」と言う本についての授業である
生徒が本を順番に読み
その後先生が
「何か質問はないか」と聞くのがいつもの形態である
その「何か質問はないか」との問いかけに
中井君が手を挙げたのである
その瞬間クラス中がどよめいた
「おおおおっ 中井が手ぇ挙げてる」
「うわぁ どないしてん あいつ」
誰も中井君の挙手など見たことなどないから当然である
驚きの表情を隠し切れない先生が
「お 中井 何や 言うてみ」
熊の様な体がのそっと立ち上がる
そして教室中水を打った様に静かになった
クラス全員が固唾を呑んで中井君の質問に耳を傾ける
「堀切て何ですか」
何秒かの沈黙の後に訪れたのは
怒涛の様な皆の噴き出す声であった
絶対笑ってはいけない立場である事をすっかり忘れて
先生迄も声を出して笑ってしまっている
「ほ ほ 堀切って言うのはやなぁ 峠の名前や」
やっとの思いで先生が言った
私が思うに中井君は峠の意味も分からなかったんだと思う
クラス中に笑われた中井君は顔を真っ赤にして座った
その瞬間から中井君は「堀切」と呼ばれる事になる
あの大人しい中井君が手を挙げるのは
よほどの決心が要った事であろう
それなのに涙を流しながら笑い転げた私である
卒業まで中井君はただの一度も手を挙げる事はなかった
そしてクラスで中井君だけが就職した